石川遼
- 生年月日 1991年9月17日(22歳)
- 出身地 埼玉県北葛飾郡松伏町
- 身長 175cm
- 体重 72kg
- 血液型 O型
- 利き手 右
- 経歴 杉並学院高等学校卒業
- プロ転向 2008年
- 成績
- 優勝回数 日本ツアー:10回
- 初優勝 マンシングウェアOP
(2007年)
- 賞金王 2009年
- ベストスコア 58 - 中日クラウンズ:4R (2010年)
- 世界ランク最高位 29位(2009年12月5日)
- 賞金ランク最高位 日本ツアー:1位(2009年)
石川遼の幼少期
6歳の頃、父に連れられてゴルフ練習場に行ったのをきっかけに、
ゴルフにのめりこむ。小学校時代は、サッカークラブ、
園芸委員会に所属。当時から松伏町の自宅から車で30分程度の距離にある、
千葉県野田市にあるゴルフ練習場に通って練習をしていた。
中学校は、地元の松伏町立松伏第二中学校に進学。
中学にゴルフ部がなかったため、陸上部に所属した。
理由は、短距離走で足の筋力と体力を付けるため。
石川遼のアマチュア時代
2004年に、全国小学校ゴルフ選手権横尾要カップで優勝。
2005年関東中学校選手権、全国中学校選手権大会・春季大会を優勝するなど、
全国規模の大会で常に上位を争うレベルにあった。
高校生となった2007年に行われた、
マンシングウェアオープン KSBカップにアマチュア枠でツアー初出場。
この大会に、日本のプロゴルフ大会においての史上最年少優勝を達成。
男子ツアーでのアマチュア優勝は「中四国オープン」で
優勝した1980年の倉本昌弘以来で、史上2人目。
大会初日が暴風のため中止となり、最終日に2ラウンドが行われた。
高校生でありながら、36ホールを回っての逆転優勝
(2日目終了時点で7打差の23位)であった。
この優勝は、世界最年少優勝記録(15歳245日)として、
ギネス・ワールド・レコーズに認定された。
5月25日に、優勝報告のため、埼玉県庁を訪れた際、
上田知事から県のマスコット・コバトンのぬいぐるみが贈られた。
同年7月に行われた、世界ジュニア選手権に出場し、個人23位。
8月17日、霞ヶ関CCで行われた日本ジュニアゴルフ選手権男子15歳
から17歳の部で、大会史上最年少の15歳11か月で初優勝。
スコアは、大会レコードタイとなる3日間通算9アンダーで204。
直後のフジサンケイクラシックでは、2日目まで首位と3打差の
6位だったが、3日目でスコアを落とし、結局3日間通算1オーバーの
214で15位に終わるがローアマチュア(出場アマチュア選手最上位)
を獲得。東海クラシック、三井住友VISA太平洋マスターズでも
ローアマチュアを獲得する。また、マンシングウェアオープンKSB
カップでの優勝により、その年のツアー優勝者に出場資格のある
ゴルフ日本シリーズJTカップに、アマチュアとして初めて出場した。
この年は、プロツアー8試合に参戦して5試合で予選を通過、
4試合でローアマチュアを獲得する活躍を見せた。
石川遼のプロ転向
2008年1月10日、記者会見を行いプロ転向を宣言。
16歳3か月24日の史上最年少のJGTOツアープロとなる。
また、2009年末までシード権を保有していることから、
同時に史上最年少のシード選手となった。
JPGAのプロゴルファー資格は2008年4月1日に取得。
2008年1月25日にはヨネックスと5年間総額10億円の用具総合使用契約
(ボール以外のクラブ、ウェアなど)を結んだ。
ヨネックスと契約をしたのは、石川が10歳のとき実父とヨネックス本社に赴き、
用具提供の支援の依頼をし、それをヨネックスが快諾したという関係からとされる。
ヨネックスの他に、所属契約をパナソニックと、移動サポートをANA、
サングラスを山本光学などとも契約した。その他、4月1日からトヨタと
2年契約、コカ・コーラと5年契約、NTTドコモと3年契約、
新学社と1年契約(その後も更新を続け、2011年現在継続中)を交わした。
パナソニックとの所属契約を2013年1月27日で満了、
更新しないことをパナソニックが発表した。
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